豊田でブランド品:ルイ・ヴィトン バビロンの買取!ブランド品&金・プラチナ買取マート豊田店 ルイ・ヴィトン バビロンの話
豊田市の皆様こんにちは(^^♪
ルイヴィトン・シャネル・エルメスなどのブランド品や、
貴金属:金・プラチナなどを中心にその他ダイヤモンドを含む宝石類や金貨、記念硬貨、大判小判や古銭・古札、オーディオ機器など多岐にわたり買取させていただいております!
ブランド品&金・プラチナ買取マートです☆
今回は、ブランド品:ルイ・ヴィトンのトートバッグ バビロンについてまとめさせていただきます♪
◎バビロンを生み出したルイ・ヴィトンとは
ルイ・ヴィトンの歴史はかなり古く1854年にまで遡ります。
ルイ・ヴィトンの創業者はその名前の通り、ルイ・ヴィトンという人物なのですが、フランスとスイスの国境付近にあるジュラ地方アンシェイ村で12人兄弟のちょうど真ん中の子どもとして生を受けます。
職人としてのキャリアをスタートさせたルイですが、14歳のときに母親との仲が悪くなり家出同然で家を飛び出し、花の都と呼ばれていたパリに飛び込びました。
そしてパリであるトランク製造職人の見習いとなります。この時代はまだスカートを針金で広げるような時代なので貴族が旅行に行く時にはトランクは必須アイテムという時代でした。
この職人の元ルイ・ヴィトンは類まれなる才能を発揮し、フランスの皇室から注文を受けるようなフランスでも屈指の職人へと階段を駆け上がっていったのです。
そして1854年の33歳の時に独立してパリの高級ブテック街にトランク専門の店をかまえたのですが、これが現在のルイ・ヴィトンの発祥となります。
この当時は蓋が丸いトランクが一般的でした。
これは馬車が主要な移動手段だった当時のフランスでは、雨が降った時にトランクの水が下に落ちやすいという構造上の理由から好まれていたものだそうです。
そして、ルイ・ヴィトンでも例にもれずこの丸い蓋のトランクを作っていたのですが、フランス一の職人にまで上り詰めた男はさすがのものでルイは機関車や船などの今後の移動手段の発達を考えた末「蓋の平らなトランク」を考えだしました。
そしてこの蓋の平らなトランクには幾つもの工夫が埋め込まれていました。
まずはその素材ですが、持ち運ぶのに便利な軽さを考え、革よりも軽い無地のコットンを選びました。
そして、さらにそこに防水加工を施した「グリ・トリアノン」を開発し軽くて丈夫、防水も出来るという画期的なトランクを生み出したのです。
こうした今までにないトランクは、たちまち当時のセレブリティの間で評判となり、ルイ・ヴィトンの名前を一躍有名にしました。
そうして、あっという間に高い評判が広まったヴィトンのトランクはフランスだけではなく海外からも注文が殺到し、全く需要に追いつけなくなりました。
そこで1859年にはアニエール=シュル=セーヌに新工場をオープンし、増産体制に入りますが、まだ創業からわずか5年しか経っていないというのは驚きますね!
このアニエールの工場は現在でも稼働しており、トランクやスペシャルオーダーといった職人の腕が最も必要な製品を製造する工場として高い価値を生み出し続けています。
1878年にパリで万国博覧会が開催されましたが、この時のパビリオンで最も注目を集めたのは、意外と思われるかもしれませんが、日本館でした。
日本庭園や盆栽、陶磁器など日本の美しい文化にフランスの人々は魅了され、日本ブーム「ジャポニズム」がフランスで巻き起こります。
このジャポニズムに影響を受けた人物として、2代目を引き継いだジョルジュ・ヴィトンがいます。
1896年に発表されたモノグラムのインスピレーションとなったのは、日本の家紋なのです。
当時、ニセモノに悩まされていたルイ・ヴィトンは、この日本の家紋をモチーフにしたLVのマークと星と花がら模様という複雑なパターンでニセモノに対抗しました。
最初は現在のようなプリントではなく、職人の手によりひとつひとつ手描き描かれていました。
こうしたニセモノに対して徹底的に抗戦する姿勢と職人によるたゆまぬ努力によって徐々にニセモノを駆逐していったのです。
さらに1888年に発表された「トアル・ダミエ」も日本の市松模様をモチーフにしてデザインされており、ヴィトンと日本というのは1800年代から深い関わりがあったのです。
これが現代の異常なまでの日本でのヴィトン人気とも関係しているのかもしれませんね(*^^*)
1900年代に入るとジョルジュはアメリカに対して積極的に販売を開始します。
そして、各国の万国博覧会や展示会、見本市などに精力的に展示を続け国際的な知名度を高めていきます。
この頃さまざまな新作トランクが発表されており、海に落ちても沈まないトランクなども発表されていたのですが、映画で有名な「タイタニック」号の沈没の際にヴィトンのトランクに捕まったことによって命が助かった人もいたといいます。
そして大きな転換点は3代目のガストン・ヴィトンが1959年にエジプト綿に塩化ビニルの樹脂加工を施したトアル地の「モノグラム・キャンバス」を発表したことにあります。
この新しい素材によって、その後の新製品開発のスピードが飛躍的に増していき、現在も人気の「スピーディ」や「キーポル」が誕生しました。
◎バビロンとは
バビロンは、A4書類も入る大きさの、長めの持ち手で肩掛けできて使い勝手がよいバッグです。
現在は廃盤商品の為、中古でしか手に入りません☆
型崩れしない作りになっているので、すっきりとした印象のコーディネイトには最適で、
スーツにはもちろん、普段使いとして少しカジュアルな服装にも合うので非常に使いやすいです。
≪バビロンのサイズ≫
全体の大きさは、高さ31cm×幅40cm×奥行き10cm程で、A4サイズよりも一回り大きな本が入るくらいです。
底部分も板張りがあり、しっかりとした作りとなっています。置いていくだけでも自立してくれるので助かります(^^♪
開閉部はしっかりとしたジッパーで閉められるので、大切な書類も収納できますし、貴重品を入れておいても安心して使用可能です。
内側にはファスナー付きのポケット、ファスナーなしのポケットが一つずつと、ペン指しが2か所あります。
素材はスウェード生地ですので、レザーなどでできているアイテムに比べると経年によるベタつき・剥がれが出にくいのも良いところです♪
ただし、ペンインクの付着などには気を付けなければなりません(゚д゚)!
また、持ち手のヌメ革ストラップは約71cm程あるので、真冬のコートなどの装いやピーコートでもダッフルコートでも、羽織の上からでもゆったりと肩にかけられます。
≪バビロンのヌメ革≫
ルイヴィトンには、ヌメ革がアクセントになっているバッグが多くありますが、バビロンもそのうちのひとつです!
バビロンには、持ち手部分のショルダーや本体の縦と底部分にヌメ革が使用されています。
ヌメ革がある製品は、その経年劣化も楽しんで長く使用できるところが良いところです(^_-)-☆
購入当初は色白の肌色に近い色をしていますが、10年以上経過したヌメ革は経年の変化で飴色に変色していきます。
この変色は使い込んでいる!という印象を与えますが、ヴィンテージのブランド品のバッグが流行している現在にはもってこいの部分です♪
また本体部分のモノグラムの表面も購入当初よりも濃い茶系色に変化していきます。
使用時についてしまったシミは残念ながら消えませんが、これも長年、愛着していると避けられません。これを欠点と思うか、良い意味での経年品と思うかは人によるのかもしれませんね(^^♪
◎バビロンまとめ
”型崩れしにくくどんなシーンにも活躍する大容量のトートバッグ”
バビロンまとめいかがでしたか(^^)/?
ルイヴィトンのトートバッグは、造りがしっかりしているのでバビロンに留まらずネヴァーフルなど、通勤用や通学用で活躍することも多く沢山の人が魅了されています!街中でも見かけることが多いですよね♪
しかし、買取店へのお持ち込み理由の多くはその重さにあります(:_;)
バッグ自体の重量がしっかりしているので、荷物を入れるとさらに重くなってしまい結局あまりご使用になれなかったり、、、
ルイヴィトンのモノグラムやダミエ柄のお品物は、保管状態が良いと査定額も安定しておりますので、長年にわたり保管しているアイテムでもお気軽にお持ち込みください☺
査定は無料・予約不要で承っております♪皆様のご来店を心よりお待ちしております。
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